「晩婚化」が進んでいる現代ではありますが、一定の年齢を超えた女性ともなると
やはり結婚している人は多く、また「結婚暦」も年齢に伴って基本的に長くなります。
一方で、その”夫婦仲”はそれぞれであり・・・
未だにラブラブな夫婦
すでに険悪な夫婦
様々な夫婦関係が展開されています。
夫婦のカタチや、理想はそのカップルそれぞれであり
国や文化によっても、大きく異なるものでもあります。
しかし、その”カタチ”は結婚当初と現在を比べた際
大きく変化していることは、どのカップルも変わりないことだと思われます。
一緒に過ごした年月と、愛情、倦怠は関係があるのでしょうか?
目次
”長く一緒にいるから”愛が深まるとは限らない
あるデータでは、
「本気で離婚しようと思ったことがあるか」
というアンケートに対し、女性の返答は
- 結婚3年以内・・・45%前後
- 結婚10以上・・・60%前後
という結果が出ています。
夫婦暦10年以上となるカップルにおける、その過半数以上の女性に
「離婚」という言葉が、頭をよぎった経験があるということになります。
このデータだけを見ると、結婚暦と愛情は反比例すると考えがちですが
夫婦暦が長いということは、”いろいろな”感情が沸くことも増えるものです。
強まるか薄れるかの別れ道
夫婦仲が悪くなる原因として、
- いやなところが見えてくる
- 付き合っていた頃や結婚当初と態度が変わった
という理由が多いようです。
しかしながら、これらはある程度は仕方が無いものでもあり
”これらを許容できるかどうか”が、愛情が薄れるのか・強まるのかの別れ道になります。
時の流れと共に夫婦仲が良くなるカップルというのは、
これらを許容し、更にポジティブに捕らえ
互いに感謝し、謝罪し、補い合うということができているようです。
そして、”子供の有無”が夫婦関係と離婚率に大きな違いが出ることは明らかです。
子供のいる家庭は、いない家庭に比べ、離婚率は低い傾向があります。
一方で、必ずしも”いたほうが円満”というわけでもなく
「子供がいるから我慢する」という、負の感情を抱いている人もたくさんいます。
実際には<現実的な判断>がされることがほとんど
子供の独立後の、「熟年離婚」の増加を予感させるデータもあります。
実際には、
「もうこの年だし、愛も無いけど、まあ悪くはない」
と考えている女性が圧倒的に多いようなデータが多く
「冷め切ってはいるけど、別れるほどでもない」
というカップルが大半のようです。
ちなみに、結婚式を挙げるカップルにとった
「自分達が目指す理想的な夫婦」のアンケートでは、
「おじいちゃん・おばあちゃんになっても手をつないで歩いている」
という返答が一番多いのも、なかなか考えさせされるものがあります。
<好きで一緒になった>はずなのになぜ?
以上のことから、
「プロポーズを受け入れようか・・・」
「そろそろ子供が欲しいけど・・・」
こういった悩みが、贅沢に感じてしまう女性も多いと思います。
”一生寄り添う”ことが叶わないことは、決して珍しいことではなく
日本をはじめとした先進国の離婚率は、年々確実に増加しています。
”好きで結婚したはず”の二人が別れるのには、もちろん理由があります。
「性格(価値観)の不一致」
という言葉は、非常に便利な言葉です。
「パートナーの浮気」と並び、男女共に「離婚理由」に挙げる定番の答えになります。
しかし、この離婚理由が正確に語られることはありません。
これは「初体験年齢」や「経験人数」といったものと同じく、”ブラックボックス”であり
”サバ”を読む人、嘘をつくこと(たとえ匿名であっても)が珍しくありません。
よって”正確な統計”といったものが、とれないものの1つです。

「別れたいという意思」が一方通行の場合には注意が必要
この「性格(価値観)の不一致」は、離婚原因として認められないものでもあります。
両者が離婚を望んでいるのであれば、離婚は可能ですが
どちらかが離婚を拒否している場合には、この場合に離婚は成立しません。
「一方的な離婚の意思」は、認められないのです。
- DV(家庭内暴力)を受けている
- 侮辱的な言葉を毎日受けて精神が不安定になっている
- 仕事に支障をきたすほど束縛が激しい
といった場合には、一方的な離婚が認められることもありますが
ただ「性格(価値観)が合わない」というのは、離婚の理由には不十分です。
「別れたい」と言っている側が、<ごねている>とみなされるだけです。
「なんかヤダ」は、通用しないのです。
結局は「不満の数」と「許容量」の関係
「性格(価値観)の不一致」という言葉には、様々な要素が含まれているものです。
- お金に関する価値観(貯金・浪費)
- 親の介護に対する価値観(同居の有無)
- 自分達の老後に関する価値観(マイホーム・お墓事情)
- そもそもの「家族」に対する価値観(子供の数・家の間取り)
「目玉焼きに何をかけるか」でさえも、価値観が関わるものであり
「何回使ったらバスタオル洗濯する」のか
「今年はどっちの田舎に帰省するか」のか
更に「子供の進路に対する情熱」というような、スケールが大きいものもあります。
すれ違いが多いほどに不満も大きくなり、やがて”許容できない”ことに気づき
更に「このまま行くのは無理」となった時に、離婚という言葉が頭をよぎるはずです。
お互いに愛し合って結婚し、月日が経つことによって
「相手と自分は、違う人間である」ということを忘れてしまいます。
そもそも、価値観は違って当たり前です。
その「当たり前」のことが許せなくなった時・・・
<許せない>ことに気づいてしまった時が、”終わり”の時なのかもしれません。
例えば”浮気”に関しても、発覚しなければ・気づかなければ
そのまま夫婦関係は続いたかもしれません。(浮気は、立派な離婚理由になりますが)
これも「異性交遊と夫婦関係」にまつわる、「価値観」の1つです。
もしかしたら、”昔は許せた”のかもしれません。
その場合は、”自分の方が変わった”いう可能性も考えてみる必要があります。
それと同時に、
「自分の人生は自分のもの」
ということも、決してお忘れないように。
バツイチくらい、バツニ程度は珍しい時代ではないのです。