「全く後悔のない育児」
というのはあり得ないはずであり、いくらお金や愛情をかけたとしても
後から思い出して、”100%納得できている”親というのは存在しないはずです。
そもそも、「正解」がないものに取り組んでいるのであり
「こうすれば間違いない」というものが存在しない以上、間違えて当たり前でもあります。
・・・なんて、綺麗ごとを聞いても
やはり、ため息が出てしまう方も多いと思われます。
しかしながら、実際の子育てには喜び・充実感と同じくらい悩み・苦しみも多く
子供への思い入れが多いほどに、”後悔もひとしお”となってしまうことになりがちです。
ここでは、”ああすればよかった”と思いがちなことと
そして、そういった考えに対しては”疑問を持つべき”というお話です。
目次
先輩ママ・パパが後悔していることとは
”後悔”と言うからには、すでに”過去のこと”となっています。
本来はであれば、「子育てを終えたママさん」の意見を参考にすべきです。
しかし育児とは日々新しいことの連続であり、つい昨日のことでも残念に思ったりと
”いつのことなのか”ということに関して、明確な基準にするのは難しいものです。
後悔している内容は無限にあるはずであり、1つとして全く同じものはありません。
また「子育ての卒業」と聞くと、18歳以降をイメージしがちであり”長い”です。
そのため、ここでは「乳幼児期」に関するものを対象にします。
「一緒にいたかった時間」と「見ていたかった瞬間」
最も現実的なものとしては、
「目を離したすきに怪我をさせてしまった」
といったことが、深い後悔となるようです。
赤ちゃんの肌は柔らかく、ちょっとした傷であって
も一生残ってしまうような、”痕”を作ってしまうことになることも多いです。
特に女の子の場合には、「申し訳ないことをした」と思い続けてしまう方も多いようです。
以上はやや極端な例ですが、
「もっとちゃんと見てあげたかった」
という意見は、実際に多いです。
特に早い時期から、共働きで働いていたご家庭というのは
- もっと幼い(かわいい)時期に話をしたかった
- 話を聞いてあげたかった
- 寂しい思い(保育施設に預ける預ける)をさせてしまった
といった意見が、定番のものになります。
そして、これらに共通している要素が「時間」です。
コミュニケーションに必要なのは、言葉ではなく時間です。
「できるだけ同じ空間で同じ時間を過ごす」
ということは、後悔を減らすための鍵になることのようです。
これらに似た内容として、
「もっと写真を撮るべきだった」
というものも、少し前までは典型的な後悔と言えるものでした。
「残しておきたかった」という、戻れない・残せなかった二重の後悔でもあります。
現代においても、過ぎた時間には戻れないことには変わりなく
”スマホがあればいつでも撮れる”からこそ、油断せずに意識しておきたいものです。
「やりすぎてしまった」という反省
一方で、
- 怒りすぎた
- 口うるさく言い過ぎた
- 自分の機嫌の悪さから感情的になった
特に「1人目の子育て」の際に、よく見られる典型的なものです。
一方で「甘やかしたことによる後悔」というのは、厳しくしすぎたことに比べて
比較的早い段階で”結果が返って来る”ことから、後悔する時期も早くなるようです。
「自分達の満足感」とは別に考えるべき問題
そもそも、”後悔”という感情は
- 主観的なものであり
- 自分が勝手に悔やんでいる
- 相手(子供)は何とも思っていない
という可能性もあります。
つまり、後悔していない、完璧にこなした(と自分で思っている)としても
実際には子供の方が不満を持っている、というケースも考えられます。
本来は、”どう受け取られているか”が大切なのです。
一方で”神経質”になるのは避けるべきであり、その”匙加減”こそが子育てでもあります。

「お金」にまつわる後悔を防ぐには<備える>しかない
最も突かれたくない内容に、「お金」の事情が絡む後悔を挙げることができます。
- 習い事をさせてあげあれなかった
- 塾に行かせてあげられなかった
といったものです。
お金は子育てにとって、愛情と同じくらい大切であると言えます。
お金にまつわる後悔というのは、子供の人生を通して<尾を引く>ものです。
しかし、この問題は<備える>しかありません。
「貯蓄」に加え学資保険等を利用したりと、可能な限り何でもしておくべきです。
せひ、早めに検討しておきましょう。

親子と言えど「人間対人間」の関係
子育てにおける後悔は、「2~3歳の時くらい」の内容が最も印象に残るようです。
この頃というのは、一番かわいい時期であると同時に「自我」が形成される時期であり
”赤ちゃんに対するお世話”ではなく、「人間対人間」と言える付き合い方が始まります。
この時期はイヤイヤ期でもあり、「ついカッとなる」ということが起きやすいものです。
もちろん、ママもパパも人間です。
”機嫌”によって、対応が違ってしまうこともあるはずです。
しかしながら、その時期の子供というのは「相手に心の動き」に非常に敏感な時期であり
後悔すること以上に、その時に”子供にどう思われるか”を意識して欲しいと思います。
”後で”自分がどう思うかではなく、”その時に”子供がどう感じたかの方が大切なことです。
まずは「自分ではない人間」と認めることが必要
「こんな人間に育てたい」
我が子の成長に、明確なイメージを持っている親御さんもいらっしゃると思います。
それは、
「頭がいい人間」に育てることでしょうか?
「足が速い人間」に育てることでしょうか?
実際は、頭がいい・悪いなどということではなく
「優しい人間」になって欲しい、というものが本心であるはずです。
性格がいい人間・優しい人間に育ってくれるのが、人間として一番嬉しいことです。
親も人間であり、様々な人間と出会い子供を生んで、今に至っているはずです。
親である自分達が生きてきた中で作られた「いい思い出」というのは、
一緒にいていい気持ちになれる、優しい気持ちになれる人間と過ごした時間だと思います。
自分の子供も、そんな人間に育って欲しいと願うのは当然のことです。

特に「母親」は要注意!
至極、常識的なことではありますが・・・
自分の子だから許す・自分の子だから許さない
という態度や、性格などもあると思います。
特に出産したての女性は、妊娠中に長い間一身同体だったため
「自分と赤ちゃん」を、”同じもの”と考えてしまう傾向があります。
その延長に、いつまでたっても1人の人間として見る事ができない方もいます。
そのままでは、子供にも自立心というものが育たなくなってしまい
”いつまでも子供のまま”になってしまう傾向があります。
わがままだったりと、自己中心的なメンドウな人間になってしまう恐れがあります。
優しい人間になるためには、自立心が必ず必要です。
自分のことを自分でできないようでは、人に優しくすることはできません。
一度冷静になり、「自分の子供」という目線ではなく「1人の人間」として
自分の子供はどんな人間なのか、どんな人間に育ちそうなのか考えてみることが大切です。
子育てにも、客観性が必要なのです。