人というのは、「いいもの」よりも「悪いもの」を見る傾向があります。
実際に、「幸せな情報」よりも「不幸な情報」の方が需要があり
有名人の「結婚」より「離婚」や「不倫」といったもの、
そもそもニュースといったものは、基本的には「他人の不幸」が放送されます。
他人の幸せ、他人の不幸、いずれにしても、それらの情報を得た後には
必ず<比較>をすることになりますが、その際に「自分が幸せでない」と考えてしまう
自分の状況を卑下してしまう傾向が、男性に比べて女性に多いように見えます。
”心あたり”がある方や、「最近多くなった」という方も多いはずです。
生きている時間が長いことによって、「差」というものが生まれます。
そもそもその”差”を感じている時点で、比較が完了しているのです。
そして、たいていは「自分の幸せ度が劣っている」という結論に落ち着きます。
まるで、”落ち込むために比較する”とも言える行為です。
中年以降は”差”が顕著なものとなるから
悪い言い方をすれば、
あらゆる点において、自分と他人を比較することは
女性にとっては、「持病」とも言えるものになります。
典型的な例としては、「自分の年収」ではなく、「夫の年収」の比較です。
自分に関わるものを、全て・細かく・常に比較をしているのです。
冷静に考えれば、
「自分の夫」と「比較対象の夫」を比べること
つまり、「他人」と「他人の配偶者」を比べることはおかしなことです。
そしてこれは、「自分の過去を正当化したい」ということに本質があります。
結局は、”自分がどの程度の男を捕まえた(惚れられた)のか”を確かめる行為なのです。
「比較するために、比較する」という、なんとも複雑な行為です。
「年収」というのは、典型的なものになりますが
それら以外にも、「子供の成績」といった要素が無限に存在します。
そして、こういった”悪い癖”というのは中年以降にピークを迎えることになります。
それは、”比較対象が増える”という単純な理由です。
「隣の芝は青く見える」
と昔から言うように、基本的には「他人の環境」はよく見えるものです。
そして、比較は”絶望の素”でもあります。
しかしなながら、ほとんどの人は<比較しない>ということができません。
これこそが、絶望がなくならない理由でもあります。
いくつになっても<満たすために頑張る>ことは大切
比較というのは、避けられないものになりますが
その「症状」を少しでも軽くするためには、何が必要なのでしょうか?
それはやはり、少しでも
「承認欲求(他人に認めてもらいたい)」
という願望を、満たすしかありません。
男性に比べて、女性は承認欲求が低い傾向が見られますが
その「弊害」として、”代わり”として<比較>をしているようにも思えます。
現在では、女性でも<仕事で活躍する>という道もあります。
今ほど女性の社会進出が進んでいない時代には、
承認欲求が満たされることなく、もんものとするしかありませんでした。
夫や子供に託すしかありませんでした。
しかし、現在では”自分の力でなんとかする”ということがしやすい時代です。
その方が、健康的でもあります。
おばさんになっても、なったからこそ、人生を充実させるために頑張るべきなのです。
「自分の価値観」を持つしかない
中年以降に起きる、「私の人生これでよかったの?感」というものは
男女に関係ないものであり、「ミッドライフ・クライシス」と呼ばれます。
上記したように、
- 周りとの差
- これからの自分
こういったものが、明確になってくることも大きく影響しており
その結果として、比較をするという行為が発生します。
その時期に、「まだ自己承認欲求を満たせない」場合には
より”重症化”してしまうことも多く、非常に危険な状態と言えます。
<仕事で輝く>ことによって、
<自己承認欲求を満たして比較をやめる>
ということが解決策になることもあるとしましたが・・・
仕事に打ち込むほどに、更に比較対象を増やしてしまうことになることもあります。
そもそも、社会との接点が増えることで
- 結婚
- 出産
- 家庭
- 仕事
- 子育てしながら仕事
- 育休をとるとらない
- 子供はあきらめる
といったものの”組み合わせ”の選択肢が、確実に増えていくものです。
頑張れば頑張るほどに、よりハードルが高くなっていくのです。
もしかしたら、「楽になるための選択肢が増えている」のではなく
より楽になることが難しい世の中になっているのかもしれません・・・
そんな時代には、
「自分自身の価値観で生きる」
ということが、より大切なものとなってくるはずです。