精神的な悩みや、神経的症的なトラブルを抱えている人の中には
「心療内科」等と呼ばれる「メンタル系のクリニック」への通院
つまり、専門家に相談することを検討している方は多いと思われます。
また、そういったご家族を抱えた人の中にも
「病院」を探しまわっている方は多く、一般的なことでもあると思われます。
しかし、
そもそもですが、それはなぜでしょうか?
おそらく、<治す>ことを目的として訪れることを考えているはずです。
それは病院が、「病気を治す場所」であると考えているからだと思います。
一方で、精神病・神経症といった症状は
「風邪」や「盲腸」等とは、全く違うものになります。
基本的な「原因」があることには変わりありませんが、
その解決法には、「マニュアル」や「セオリー」はなく
”治そうと思って治せない”という、最高にやっかいな特徴があります。
ここでは、「心療内科・精神科の違い」といったものはなく
もっと根本的なこと、というよりも、元も子もなくなってしまうような
「ビョーキの人」と、病院(医師)との付き合い方を考えていきたいと思います。
無駄に期待し、絶望する人を減らすためであり
より効率的・現実的な克服法を考えるためでもあります。
※この記事は、全国の心療内科・メンタルクリニックの業務を
侵害することを目的として、書かれたものではありません。
目次
「その感覚」は基本的に分かり合えない
ここで言う<カウンセリング>とは、
- 告白・相談
- 行動療法
- 催眠療法
といった、<薬以外のアプローチ>を前提としますが
それ以前の・最も大きな前提として、「人間対人間」である点が挙げられます。
人間関係の究極は、「好き嫌い」ということになるはずです。
そして、言い方は非常によくありませんが・・・
そもそも<ビョーキになっちゃうような人間>と
<医者になれちゃうような人間>は、感覚が根本的に噛み合うことはありません。
大人だから、仕事だから<噛み合っているように見せる>のです。
美容室のスタイリストと、心療内科の担当医は、なんら変わりません。
お金を貰えるから、サービスを提供するだけです。
これは決して”いじけた発想”ではなく、「意志の疎通」という面で
<分かり合う>という面で、根本的にかなり困難なことであると考えるべきです。
医療は「学問」であり、医者は「商売」です。
学問である医学には、”因果関係に沿って解決ができる”という前提があります。
しかし、”そう”はいないのが神経症(精神病)です。
また医学部を卒業する人間というのは、一般的な家庭に比べあらゆる点で恵まれています。
これは、ビョーキになるような人間とは正反対です。
分かりやすく言えば・・・
恵まれた人間(基本的に賢くて実家が金持ち)
と
神経症になるような人間(神経質で且つトラブル要因のある環境で育った)
は、分かり合えるはずがないのです。
むしろ、理解者として「最も遠い存在」と言えるものでもあります。
神経症は、解決ができない前提で向き合う必要があります。
「先生は症状を理解して、解決に導いてくれる」という期待は
そもそも持つべきではなく、”通院すれば治る”ことはありません。
ただし先生を責めても意味はない
ここまで、メンタルクリニックに通うことが
いかに効果がないものかを、ネチネチと解説してしまいましたが
「神経症がそう簡単に治るものではない」ということは、先生もご存じのはずです。
そして、基本的には治らないと分かっていても
「マニュアル(基準となる治療方針)に従う」という人がほとんどです。
「不眠」における、睡眠薬の処方で言えば、
寝つきが悪いならこれ、
全く眠れないならこれ、
すぐ目が覚めるならこれ、
と、”だいたい決まっている”のです。
ただし、「精神医学」や「心理学」いったものは
あくまでマニュアルに過ぎませんが、歴史のあるものであり
「サンプル」から得ることができた、「克服に近づくためのセオリー」は存在します。
また「薬物療法」に関しては、個人の判断・価値観になりますが
「なぜ処方しようとしているのか」ということに関して、一度考えてみることも大切です。
(薬物療法のみで完治することがないことは、常識的なことでもありますが。)
「言いたいこと」をただただ吐き出す場所として利用する
<真剣に相談>したり、<解決に期待>するのではなく
ただ、自分の「不満」や「悩み」をひたすらにぶつけること
これこそが「最もコスパのいいメンタルクリニックの使い方」と考えられます。
「解決につながる相談」ができるとは、最初から思わなければいいのです。
ただただ、
- なぜ苦しいのか
- 何が不満なのか
- 自分がこうなってしまったのは何のせいだと思うのか
- もうしたくないこと
- もう考えたくないこと
- もう会いたくない人
- 嫌いな食べ物
- むかつく芸能人
- 自分の体の気に入らないところ
「自分のいいたいこと」を、ひたすら叫びましょう。
「コイツ本当にダメだ」と思われるかもしれませんが、それも別にどうでもいいでしょう。
予め決められた、「ゴール」が設定されている
「催眠」や「誘導尋問」に比べれば、より効果的なものと言えます。
(カルテを書くため・「型」にはめるために、誘導する医師は珍しくありません。)
「こころのビョーキ」になるということは、一筋縄ではいかない事情があるはずです。
お金を払って、時間をかけて、解決できるのものではありません。
しかし、それでも「何かしなきゃ!」と思うものであり
何らかの行動をとるということは、それ自体が非常に「いいこと」と言えます。
意味がないなら、せめて「もと」をとりましょう。
「いい先生」ではなく「信頼できる人」との出会いを期待する
メンタルクリニックに通う際に、注意しなければならない点として
<期待する>という、意味のないことに加えて
<病院に行った>ということを、「言い訳」として残さないようにすることです。
それは「行ったのに、治らなかった!(治すための行動をとった)」という
ある意味で「免罪符」を作るための行動であるとも考えられます。
非常にひねくれた考え方ですが、精神病の患者を生む家庭には
そういった考えを持つ人、そういった考えの親がいることが非常に多いのです。
繰り返しになりますが、”行ったから治る”のであれば悩む人はいません。
「医者になる人間に理解できるわけがない」という感覚も必要ですが、
「誰かに話す」こと自体は、心を病む人間にとっては有意義なことです。
もしかしたら、担当の先生は極めて心優しい人間であり
心の底から、苦しんでいる人を助けようとしている可能性もあります。
また「素人」よりも、「一応、学んでます」という人に相談する方が確かに意味があります。
ただし、ここで注意しなければならいことは
それが「信頼」なのか、「依存」なのか、勘違いをしないことです。
もちろん本気で相談するためには、相手を信頼することが不可欠です。
期待しないこと、本当に信頼できる先生を見つけること
この線引きを明確にし、”ゼロか百か”で考えることが大切なことでもあります。
もちろん、可能性はそれほど高くはありません。
また、本気なら「東京の病院」をおすすめします。
神経・メンタルに関する治療内容は、地方のクリニックとは全くレベルが違います。
田舎には、未だに「心の病気をなめた医者」が非常に多いようです。
くれぐれも、期待はしないよう。