「自己承認欲求」を満たすことが、最大の行動原理となっている人がいます。
それがもしもつらいなら、なんとかする方法を考えましょう。
”承認欲求”とはその名の通り、<自分を認めて欲しい>という欲望です。
基本的には、誰もが少なからず持っているものであり
無意識のうちに”折り合い”を付けて、日々を生きているものです。
しかし、中には”強すぎる”という人も存在し
それによって、メンドウな日常を送っている人も珍しくはありません。
この承認欲求の問題に関する悩みを抱えている人というのは、
- 自分自身が強すぎて困っているケース
- 強すぎる人が身近にいることによるトラブル
この2つのケースが存在します。
後者の場合は、基本的に<放っておけばいい>というものになりますが
「かまって(褒めて)あげないと、後でめんどくさい」ということも多く
そして前者の場合は、放っておかれることで
「かまって(褒めて)もらえないから、納得できない」ために
癇癪を起したり、落ち込んでしまったりすることになります。
承認欲求が、
- 強くて困っている
- 強い人に困っている
この問題というのは、常にどちらかの人が犠牲になってしまうものです。
しかし、”承認欲求が絡む生きづらさ”を抱えているのであれば
強くて困っている人は、少しでも軽減する努力を
強い人に困っている人は、相応しい対処法を
それぞれが、見つけていくことが大切です。
承認欲求の問題は、
「なぜ、そんなに強いのか?」
「どうすれは、納得できるのか?」
という「強い人目線」で考えることで、解決策を探ることができるはずです。
※承認欲求の問題というのは、精神病・神経症に欠かせないエッセンスであり
いいかげんなことは書けない内容にであるため、あくまで個人的な・ミクロな内容です。
目次
「自分を見て欲しい」という気持ち強過ぎる理由
まず、承認欲求が強い人というのは
- 劣等感が大きい
- よく思われたい
基本的には、この2つのいずれかのパターンです。
またこれら以外にも、<傷つくことによって承認を得る>といった
ある意味で、まさに「性癖」と呼ばれるケースもあります。
でも、本人は真剣なのでしょう。
詳しくは、
- 対等承認(人並みに思われたい)
- 上位承認(人より上に思われたい)
- 下位承認(マゾヒズムや依存)
と3つに分かれるようですが、結局は「自分を見て!」ということです。
「普通の人」であれば、そこまで強く思うことのないような”欲求”であり
どうしてそんな気持ちが、それも強く芽生えてしまうのか?という理由を
考える・知ることが、承認欲求に対処する鍵になるはずです。
実は「劣等感(コンプレックス)」が強い
承認欲求が強すぎる典型的な理由が、「劣等感(コンプレックス)」です。
- 自信がないから褒めて欲しい
- せめて人並みに見て欲しい
- 舐められたくない
- 人よりも優れていると思い込みたい
- 劣っている自分が許せない
対等承認にしても、上位承認にしても、根底には同じものが潜んでいるはずです。
(下位承認の問題はより複雑であり、日常的に問題となるのは
対等・上位承認であるため、ここでは下位承認のケースは別ものとします。)
劣等感の強さが、承認欲求の強さに比例していることもあります。
実は自分に自信がない
承認欲求が強い人というのは、自分に自信がないことがその振る舞いに現れています。
これも、ある意味で劣等感の一部です。
とても優れている人であっても、承認欲求が強い時点で本当は自信がありません。
本来は、劣等感等が特に無さそうな人であっても
「もっとくれ!」となってしまうのは、「埋めることができない穴」があるためです。
過去に「馬鹿にされていた」といったトラウマのようなものを持った人が
偶然にも権力を持った場合には、過去を取り戻すかのように威勢がよくなることがあります。
この<過去を取り戻す>という行動原理は、
あらゆる人格トラブルの、典型的な動機になるものです。
成金の金遣いが荒かったり
元いじめられっ子が部下をいじめたり
アイドルになりたかった女性が、子供にオーディションを受けさせたり
貧しく習い事ができなかった人間が、フィギュアスケートやバイオリンといった
極端にお金がかかることを子供にさせるのは、自分の「心の穴」を埋めるためです。
忘れてはいけないのが、<埋めれば埋まる>という場合と
いくら埋めようとしても埋まらないケースがある、ということです。
特に幼少期のトラウマ等が関わっている場合は、解消が難しいケースが多いようです。
「認めて欲しい気持ち」を軽くする方法
承認欲求が強い人間は、<納得>が欲しいはずです。
自分は他人と比べて劣っていない
自分は他人よりも優れている
その「証拠」を欲していますが、そんな証拠はどこにもないからこそ悩むのです。
「あんたはすごいよ!」で済めば、そもそも悩む必要はなく
上記したように、いくら褒められても終わりはないからこそ苦しいわけです。
承認欲求には、対等承認・上位承認・下位承認といったものとは別に
- 他者承認
- 自己承認
といった2つの要素があります。
言うまでもなく、
- 人に認められたい
- 自分を認めたい
ということですが、こと”納得する”ということを目的とした場合には
必ず、<自分で分で自分を認めてあげる>ことが必要不可欠です。
そしてその最終的な目的とは、「他人が関係ない価値観」を作ること
「人の目を気にしない」という、考え方を作ってあげることです。
そもそも「他者の目」をどう思うか、ということに関しても
最終的に決めるのは自分であり、自分が納得していれば気にする必要はないからです。
自分の欲求と”逆に”なるような行動をしてみる
「自分自身が納得するしかない」ということは、多くの方が分かっていることと思います。
そうは言っても、簡単ではないからこそ悩むはずです。
ここでは、あえて<逆に行く>ということを提案しておきます。
承認欲求が強い人というのは、基本的に褒められたいはずであり
「褒められたいからこそ、バカにされてみる」こともおすすめです。
「あえて恥をかく」というのは、冗談のようで有効な「ショック療法」と言えます。
「恥をかきたくない」という気持ちと、「褒められたい」は表裏一体です。
恥をかくこと、バカにされることで道が開けることもあります。
承認欲求が強い人は、基本的に優れていることも多いです。
目標が高すぎる
目標をクリアしてもまた目標が現れる
終わりがありません。
これでは、気を使って褒める方も疲れてしまいます。
「疲れているのは自分だけではないのかも?」
と考えれば、治そうという気持ちも強くなるはずです。