「しつけ」に関しては、各家庭に様々な意見やポリシー
「教育方針」があるため、決して”正解”と言うものがありません。
むやみに人に忠告してはいけませんし、人の話も参考にするだけにしておきましょう。
同じようにしつけようとしても子供によって反応が違うため
一概には言えませんし、言ってはいけない問題です。
それらの前提を念頭に置きつつ・・・このページを読んで欲しいと思います。
まず最初に、「しつけは誰のためにするのか?」を考えてみましょう。
これは<子育て>において、非常に重要な過程でもあります。
”しつけ”と聞いて想像することは、
- 「やってはいけないこと」を教える
- 「こうするべき」という行儀(マナー)を教える
そんなイメージを持たれる方が多いと思います。
特に幼い時期は、人格形成のスタートになるため
「しっかりしつけなければ」と気合を入れすぎたり、
意味もなく焦ってしまい、神経質になりすぎる方も多いと思います。
人に聞いて正解を探したり、様々な媒体を利用して調べる親御さんは実際に多いです。
育児に正解はありませんし、求めてはいけません。
しかし、「悪いしつけ」には共通点があります。
「子供のことを考えて」ではなく「自分の見栄」
「周りの人のことを考えて」ではなく「世間体」
赤ちゃんが生まれ持った性格を認めずに、理想の子供像を押し付けている人も見られます。
目次
「個性」を潰すことだけはしてはならない
人間の性格に関しては、育った環境が影響を与えると考える人もいれば
生まれながらにある程度の要素を持っている人もいます。
実際には半分半分であるという意見が優勢です。
つまり、同じしつけをしても同じ人間にはなりません。
教えなくてもお行儀のいい「お利口さん」もいます。
何度言っても、言うことを聞かない子もいます。
一度言えば済む子もいれば、10回言っても駄目な子
反抗して「手が付けられない子」もいたりと、子供の数だけ傾向があります。
まずは、「自分の子供の性格」を受け入れるところから始めましょう。
”愛”が基になっていて”目を見て”伝えることができることなのか?
そうは言っても、大人としての常識や自分の経験から
何となくはしつけの仕方は分かっていると思います。
子供のことを考えて
人に迷惑をかけないよう
共同体で生きていくできるため
できる限りの愛を持って、目を見て
優しく教えてあげるという単純なことから始めましょう。
繰り返しになりますが、同じように育てられたとしても
同じような人間にならないことは、度重なる検証によってはっきりしています。
自分(父母)と赤ちゃんは、違う人間であるということを忘れてはなりません。
”いつ”から本格的に始めるべきなのか?
子供の躾(しつけ)に関して、「本格的に始める時期」は
いつ頃がいいのだろうかと、迷っているお母さんは多いはずです。
結論から言うと・・・
ハイハイを始めたりと、「自分の意志」によって行動範囲が広まった時点で
「躾をすることに意味がある」と考えられます。
ハイハイを始める生後8~10ヶ月くらい赤ちゃんは、まだ言葉を理解することができず
「言っても意味が無い」という状況のため、”ちゃんと”伝えることを諦めがちです。
しかしたとえ理解できていないとしても、言葉によって
「何か伝えようと」している、ということをなんとなく分からせることも必要です。
しっかり目を見て、最初は「大人の言葉」で優しく伝える癖をつけましょう。
敏感な赤ちゃんは、褒めているのか・怒っているのか
(ママがよく思っていない)のか理解することはできます。
その時期の赤ちゃんは、ママが怒っていると分かると癇癪を起すことがほとんどですが
お母さんも逃げずに、しっかりと伝える努力をしましょう。
褒めることも1つの手段
「悪いことをしたら注意する」
ということだけを、躾だと思っている方もいるようですが
マイナスな行動に対する注意だけが、しつけではありません。
母親が洋服を畳んでいるのを真似したり、といった
”いいこと”をした時に褒めてあげることも、立派な躾の一部です。
- いいことをすると褒められる・みんなが幸せになる
- 悪いことをすると怒られる・みんなが悲しむ
ということを、肌で感じさせていきましょう。
また、そもそも必要がなければ厳しく躾をする必要はありません。
しつけとは、社会の中で生きる・学ぶための
「常識」や「マナー」を覚えさせるこを目的としてするものです。
特に厳しく言わなくても、心身ともに健やかに育つ子もおり
そういった子供に対して、厳しくすることは逆効果になります。
必要もない場面で、無駄に厳しくしてしまうことで
「特に悪いところはないのに、何でママは叱咤するのだろう?」
と、情緒的な混乱を招く恐れもあります。
褒めるだけでいい子に育つ場合もあり、非常に理想的です。
「基本的にやらない方がいいこと」とは
「基本的的にとるべきではないしつけの手段」を、紹介しておきたいと思います。
<手を挙げる>ことに関しては”絶対NG”というわけではい・・・とする人が大半です。
どうしても言うことを聞かない時等には、
つい「手」を”べしっ”と叩いてしまうことはないでしょうか?
実はこの<手を叩く>というのは、
子供の”情緒面”に対し、非常にマイナスであるという意見があります。
「利き手を矯正すること」も同じであり、自由に使えるようになったばかりの
<おて手>をたしなめられることは、何らかの悪影響があるようです。
しつけに「適切な程度」はあるのか?
「叱る」ということは、子育てにおいて避けることができないことであり
本当はやりたくない
けど、、、
必要なことでもあります。
お母さん達も「親から怒られたことがない」という人は、恐らく1人もいないはずです。
そして、何より
「やってはいけないことをしたら叱る」
ということは、「親として当たり前のこと」でもあります。
しかし、いざ自分と自分の子供の関係になると
「分かってはいるけど、どうしていいか分からない」という人も多いようです。
社会に出て、やってはいけないことをやったら
怒られる・・・では済まず、何らかの「制裁」を受けます。
それは、「刑事罰」であったり「社会的信用」であったりと
取り返しがつかないものであり、幼いうちに「叱ってあげる」ことが子供ためです。
しかし中には「やってはいけない叱り方」もあるため、避けるべき内容を解説していきます。
トラウマになる可能性のある怒り方
叱り方で悩んでいるというママの中には
「トラウマになってしまうんじゃないか?」
という心配から、うまく叱れないという人もいると思います。
”トラウマ”と呼ばれるものには、
- 継続してストレスを受けることによって芽生えるもの
- 突発的な出来事によって芽生えるもの
以上の2つがあり、自分の置かれている状況を理解することが必要でもあり
実際には、言葉の覚え始め(2歳前後)が最もトラウマの残りやすい時期と考えられます。
そして、幼児期の叱られ方に関するトラウマには
- 押入れ(暗くて狭いところ)に閉じ込める
- 締め出し(ベランダ)などの行き場のない空間
いずれかの例が、圧倒的に多くなっています。
これらは情緒的負担が非常に大きく、”母親にされた”という点
「行き場のない場所」に隔離されたという点で、精神的に非常に大きな負担が残ります。
「嫌な思い出」というだけでなく、
- 閉所恐怖症(極端な例では、車に載れなくなることも)
- 暗所恐怖症(少しでも暗いとパニック発作を起すことも)
- 極端な寂しがりや・依存体質(ホストに貢いだり。。。)
等の、性格的・神経的な後遺症が残るリスクがあります。
「怒鳴る」などの繰り返しは、「萎縮」した人間になりやすい
ということがありますが、それは「トラウマ」とはやや違うものです。
(萎縮した人間になってしまうほどの怒り方はやめるべきですが)
場合によっては「手」を出してもいいものなの?
家庭によっては、怒る際に「ビンタ」や「お尻叩き」をする場合もあるようです。
一昔であれば、「げんこつ」等の体罰は珍しくなく
漫画やアニメでも、親に殴られて「コブ」を作っている主人公もよく見る光景でした。
(だからと言っておすすめはしません。)
この体罰に関しては、行き過ぎなければ正解も間違いもありません。
極端でなければ、体罰はトラウマになりにくいようです。
しかしながら、日常的に繰り返すことによって、
暴力的な人間になってしまう傾向があることは間違いありません。
”それ”は、「最後の手段」として、取っておきましょう。
ただし上記したように、2歳以下の幼い子供の手を叩くことは絶対にやってはいけません。
「必要な時」に”必要な分だけ”を心掛ける
稀に、「1度も怒られたことがない」という成人の人もおり
そういった人というのは「我侭」よりも、実際には「本当にいい人」の方が多いようです。
この例からも、「無理して起こる必要は無い」ということが分かります。
”怒らなくてすむならそれでいい”のです。
「怒られる経験」をさせなければならないと、無理して怒ろうとするママもいるようですが
対して悪いこともしていないのに怒られたら・・・性格が曲がるに決まっていますよね?
無理して怒る必要は、全くありません。
「自分の経験」を振り返ってしつけを見直す
叱り方に迷った時は、自分の幼い頃を思い出してみましょう。
冒頭でも少し解説しましたが、子育てにおいて自分の過去と向き合うことは大切です。
「自分の子には、こんな怒り方・こんなこと言いたくないな」
そんな記憶もあるのではないでしょうか?
「虐待された子は、自分の子供も虐待してしまう」
という有名な格言がありますが、これは事実です。
「親にやられたことをやってしまう」
のが人間であり
「自分が嫌だった怒り方はしない」
ということが、「叱り方の正解」に最も近いのではないでしょうか。